問題は手にのるサイズで

異動して、不採算部門の建て直しをすることになった。

 

なぜかこの部門では本来お客さんがやるべき作業を代わりにやっていた。

 

かと言ってそれを自動化する訳でもなく、ただただ人海戦術で対応していたのだ。

 

そりゃ不採算な訳だと妙に納得した。

 

そんなある日、本来お客さんがやるべき作業を代わりにやって、その作業にミスがあってお客さんにお叱りを受ける事案が発生してしまった。

 

原因究明と再発防止策の検討のために、担当部門のマネジャーとミーティングを実施した。

 

その会話がなるほどと思わせるものだったので、少し再現してみる。

 

マネジャー「すみませんでした」

 

私「やっちゃったものは仕方ないけど、原因はなんだったの?」

 

マ「作業ミスです」

 

私「どういう作業ミスなの?」

 

マ「お客様の使い方を熟知してない人間が作業していたので、更新時に間違ってデータを上書きしてしまった様です」

 

私「そのチェックは誰ならできるの?」

 

マ「担当者かそれ以外だとお客さんです」

 

私「お客さんはチェックできないの?」

 

マ「確認はしてもらうプロセスはあるのですが、我々が正しく作業するだろうという前提でいるので、あまりちゃんと見てくれていません」

 

私「そもそもお客さんでもチェックできるってこと?」

 

マ「やろうと思えばできます」

 

私「やろうと思えばってどういう意味? 現実的にはできないってこと? 他のお客様はどうしてるの?」

 

マ「お客さんによっては、お客さん自身でやって頂いています。」

 

私「それってお客さんでもできるってことだよね。」

 

マ「はい、お客さんのスキルによっては。」

 

私「なんで(本来お客さんがやるべき作業を)自分たちでやってるの?」

 

マ「その機能の使い方が難しくて、なかなか使いこなせないんです。だから説明するくらいならやっちゃった方が早いのでやっています。」

 

私「どうなればお客さんでもできる様になるの?」

 

マ「その機能が使いやすくなれば、お客さんでもできます」

(後略)

 

自分の力が及ばないものに、問題や解決手段を寄せるのは、自らの責任を放棄するのと近しい。課題認識として間違ってはいない。だけど、実務家としては落第だ。

 

実務家なら、他者に完璧を強いるのではなく、不足を所与のものとして、それでもなお状況を打開するオプションを検討するべきだ。

 

特にそれが自分の力でかえ難いものであったり、すぐ修正が効くものでないなら尚更だ。

 

僕はそれを「問題を手の平サイズにする」と呼んでいる。多分どこかで誰かが言っていた言葉を借用しているのだと思うが。

 

■まとめ

 

問題の解決にコミットすべし。効果と実現可能性を併せ持ったプランを作るためには、問題を手の平サイズ(自分で扱えるもの)に設定することが肝要である。

 

正しいとはなんと簡単なことだろう

「こうすべきだと思うんですよね」

「なんでこうしないんですかね」

部下や同僚が、そして時には上席さえも口にするこんなセリフ。

飲み屋街でこんな感じで口角泡を飛ばしてサラリーマンを見つけるのは容易い。

なんにも疑問を持たずに、ただ言われたことをやるよりは良いのかもしれない。少なくとも問題意識があることの証左なのだから。

でも、とても違和感があるのです。だって、これって傍観者の発言でしょう。

こうすべき(なのにそうなってない)。そんな状況を打破するのは誰?

社長? 役員? 事業部長?どこかの誰かがあるべき「正しい」やり方でやってないことが問題なのか。

違います。

その状態を放置している全ての人の問題です。

種々の制約を加味して現実的なプランを策定して、場合によってはいまの方針を転換して、時には捨てる判断もして、それぞれ思いの違う構成員の意見を調整して、実際の運用に落とし込んで、日々のオペレーションを実行しきって、問題箇所を特定しては修正をつづける。

会社の文化が、いまのポジションが、あなたが変革に向けて動くことを阻害したかもしれない。

上席に直談判したけど一蹴されたかもしれない。

言い続けたけど、誰も賛同も応援も協力もしてくれなかったかもしれない。

でも、だから諦めると、正しさに逃げ込んでクダをまくことに決めたのは他の誰かじゃない。

逃げたのは、変えることをやめると決めたのは、他でもないあなた自身だ。

改善のプロセスを、方針転換を、決定し実行することとは、喫煙所や飲み屋で「正しい」ことを言うだけとは比べ物にならないくらいに難しい。

その難しさに負けたのは、他でもないあなた自身だ。あなたのその姿は、あなたが失望した上席の何年か前の姿かもしれない。

かく言う私も、わかってない周りにイラついて、彼らを諦めてた1人だ。

あいつは馬鹿か? なんでこんな方針で勝てると思うんだ。なんでこんなふざけたオペレーションでやるんだよ。誤魔化すんじゃねえよ、正義はどこに言ったんだよ。こんな馬鹿なやつを管理職につけてる役員は人を見る目がなさすぎだろう。

当時、目標の未達を何期も続ける営業部門にいた私は、それはそれは気持ち良いくらいに腐っていた。馬鹿な上司に進言するのも諦めて、事業部の方針を無視して勝手にやっていた。

 そしてタチの悪いことに私のチームはずっと目標を達成し続けていた。ほら見ろ、お前(たち)のやり方がまずいから目標未達なんだ。そんなやり方してたら目標達成出来るわけないだろ。お前らは馬鹿か。レベルが低いバカには付き合ってられない。

そんな風に私はどんどん事業部の方針を無視し続けた。当然、冷遇された。

馬鹿に認められても仕方がないとうそぶいて、勝手にやり続けた。誰も私に何も言わなくなった。

私のチームは目標を達成し続け、事業部は未達を続けた。日々、イライラしていた。バカの相手はしてられないと公言していた。

当時の私は愚かだった。私が名指しして批判していた誰よりも。

そして私はその事業部を出て行った。半分は自分の意志、半分は追い出された格好で。

いまでもその事業部長のやり方は間違っていたと思っているけど、バカにしていた相手と同じかそれ以上に、バカだったのは私の方だ。

腐って、1人正義を実行し続けていると思い続けていたけど、私はただ諦めて逃げ込んだだけだ。

彼のやり方は間違ってる。彼のやり方じゃなくて、私のやり方でやる。なぜあの時、彼のやり方と私のやり方のいいとこどりができなかったのだろう。本当に諦めるのが「正しい」やり方だったのだろうか。

冷静になったいま、そう思う。

■まとめ

正しいことを言うのは簡単。正しいことは実行するのが難しい。

諦めると決めたのはだれ?その場所で腐ると決めたのは僕。