正しいとはなんと簡単なことだろう

「こうすべきだと思うんですよね」

「なんでこうしないんですかね」

部下や同僚が、そして時には上席さえも口にするこんなセリフ。

飲み屋街でこんな感じで口角泡を飛ばしてサラリーマンを見つけるのは容易い。

なんにも疑問を持たずに、ただ言われたことをやるよりは良いのかもしれない。少なくとも問題意識があることの証左なのだから。

でも、とても違和感があるのです。だって、これって傍観者の発言でしょう。

こうすべき(なのにそうなってない)。そんな状況を打破するのは誰?

社長? 役員? 事業部長?どこかの誰かがあるべき「正しい」やり方でやってないことが問題なのか。

違います。

その状態を放置している全ての人の問題です。

種々の制約を加味して現実的なプランを策定して、場合によってはいまの方針を転換して、時には捨てる判断もして、それぞれ思いの違う構成員の意見を調整して、実際の運用に落とし込んで、日々のオペレーションを実行しきって、問題箇所を特定しては修正をつづける。

会社の文化が、いまのポジションが、あなたが変革に向けて動くことを阻害したかもしれない。

上席に直談判したけど一蹴されたかもしれない。

言い続けたけど、誰も賛同も応援も協力もしてくれなかったかもしれない。

でも、だから諦めると、正しさに逃げ込んでクダをまくことに決めたのは他の誰かじゃない。

逃げたのは、変えることをやめると決めたのは、他でもないあなた自身だ。

改善のプロセスを、方針転換を、決定し実行することとは、喫煙所や飲み屋で「正しい」ことを言うだけとは比べ物にならないくらいに難しい。

その難しさに負けたのは、他でもないあなた自身だ。あなたのその姿は、あなたが失望した上席の何年か前の姿かもしれない。

かく言う私も、わかってない周りにイラついて、彼らを諦めてた1人だ。

あいつは馬鹿か? なんでこんな方針で勝てると思うんだ。なんでこんなふざけたオペレーションでやるんだよ。誤魔化すんじゃねえよ、正義はどこに言ったんだよ。こんな馬鹿なやつを管理職につけてる役員は人を見る目がなさすぎだろう。

当時、目標の未達を何期も続ける営業部門にいた私は、それはそれは気持ち良いくらいに腐っていた。馬鹿な上司に進言するのも諦めて、事業部の方針を無視して勝手にやっていた。

 そしてタチの悪いことに私のチームはずっと目標を達成し続けていた。ほら見ろ、お前(たち)のやり方がまずいから目標未達なんだ。そんなやり方してたら目標達成出来るわけないだろ。お前らは馬鹿か。レベルが低いバカには付き合ってられない。

そんな風に私はどんどん事業部の方針を無視し続けた。当然、冷遇された。

馬鹿に認められても仕方がないとうそぶいて、勝手にやり続けた。誰も私に何も言わなくなった。

私のチームは目標を達成し続け、事業部は未達を続けた。日々、イライラしていた。バカの相手はしてられないと公言していた。

当時の私は愚かだった。私が名指しして批判していた誰よりも。

そして私はその事業部を出て行った。半分は自分の意志、半分は追い出された格好で。

いまでもその事業部長のやり方は間違っていたと思っているけど、バカにしていた相手と同じかそれ以上に、バカだったのは私の方だ。

腐って、1人正義を実行し続けていると思い続けていたけど、私はただ諦めて逃げ込んだだけだ。

彼のやり方は間違ってる。彼のやり方じゃなくて、私のやり方でやる。なぜあの時、彼のやり方と私のやり方のいいとこどりができなかったのだろう。本当に諦めるのが「正しい」やり方だったのだろうか。

冷静になったいま、そう思う。

■まとめ

正しいことを言うのは簡単。正しいことは実行するのが難しい。

諦めると決めたのはだれ?その場所で腐ると決めたのは僕。